「ドラゴンボール超」に存在しない正義の概念。正義の味方ではない主人公

ドラゴンボール超の設定は人間存在への警鐘か

最終更新日:2017年9月19日

私はドラゴンボール世代のおじさんであるが、現在再放送ではないドラゴンボールが放送されているようだ。

日曜日の午前9時から放送していて、何度か観たことがある。
現代のドラゴンボールがどんな冒険をしているのかと思ったら、その異様な設定にびっくりした。

そこでは、複数の宇宙の代表が戦い、負けた宇宙は消滅するとなっている。

例えを使って簡単に説明してみる。
絶対的な武力と権力を持った皇帝「全王」は、支配する領域にある国々が多すぎると考えた。
そして、国々のうちあまり生産性がよろしくない国、モラルなど程度が低い国を選び、全部で12(10かも)の国を滅ぼすことにした。
滅ぼすという行為に例外はない。その国に住む人や出身者も含め、すべてを消滅させる。
皇帝には誰も逆らえないし、逆らおうと考えることすらしない。
しかし、消滅される国に住む「孫悟空」という戦士は、過去に皇帝と関わっており仲が良かった。
皇帝はこの人物と仲が良かったが、それにも関わらずこの人物も「消滅」の対象であった。
「皇帝の友人」である孫悟空は、「どの国が滅びるか戦いで決めよう」と皇帝に提案し、皇帝は了承。
かくして、国の存亡を駆けた「剣闘大会」が開催された。

・・・

消滅とはつまり死である。
従来までのマンガであれば、主人公やその仲間たちに不条理な死をもたらす存在は「悪」として描かれていた。
死をもたらす存在である「全王」は、宇宙中の最強の戦士が束になっても適わない最強の存在。
悪意はもたず、ただ無邪気に人々を「消滅」させる絶対者。
既存のルールも「面白い」という理由だけで変えてしまう。

一般的には、このような「強大な悪」に立ち向かい、力を合わせ人々を守るのが、少年マンガの大道である。
しかしながら、ドラゴンボール超では、この「絶対的な悪」に立ち向かうことはしない。
立ち向かうことを考えもしない。
絶対者の意に沿うままに、人々が争い合い、自分たち(だけが)生き残ろうとしている。
ここに正義はない。
非常に珍しい構図となっている。

「正義 VS 悪」ではなく、「絶対的な存在者の手のひらの上で殺し合う弱者同士」が描かれている。
この絶対的な存在者を、悪意のない純粋で無邪気な姿として描いている。
まるで子どもが意味も分からず虫を踏み潰すように、宇宙を(とその宇宙に住む無数の人々を)消滅させている。


この物語は、弱者同士が殺し合い(作中で闘技中の殺しは禁止となっているが、敗者は宇宙ごと消滅するため殺し合っているのと変わらない)、最後に主人公である孫悟空らの宇宙が生き残って「めでたしめでたし」となるのであろうか。
どのような意図が含意されているのかわからないが、ひとつ考えられることがある。

絶対的な「全王」を、現実世界の「人間」になぞらえている。
この作品の構図は、「闘犬」や「剣闘士の戦い」と同じである。

あるいは、増えすぎた種から生態系を守るために、鹿などの動物を「間引く」行為とも見て取れる。
絶対的な存在者である人間が、人間が理想とする「世界」を維持するために、弱者である動物たちの命や存在・ありかた自体をコントロールしている現実。

「ドラゴンボール超」で「奴隷剣闘士」の役を担っているスーパー戦士たちは、絶対的権力をもつ「皇帝」の支配を脱しようとするのであろうか。
全王とその友人である孫悟空。
この関係は、絶対王政の皇帝と宮廷道化師の姿に似ている。
誰も逆らえず意見すら出来ない皇帝に、ピエロを演じることで意見を言う存在。
ピエロをみて周囲の高官や将軍が慌てふためく。

「ドラゴンボール超」は、横暴な人間存在への揶揄なのだろうか。
(孫悟空であっても)絶対的な権力には逆らうことができないというメッセージなのだろうか。
もっとも、孫悟空はもともと正義の人ではない。
ただ強い奴と戦うことだけを求めていて、いわゆる正義の味方やスーパーヒーローではない。
今までは結果的に世界を救ってきたというだけで。

今回も、世界(地球がある宇宙だけではあっても)を守って終わるのは間違いがない。
ただ、気分次第で人々を消滅させる「悪」をどう描くのか。
もしなんらかの理由でこの悪(全王)が打ち倒したとしたら(フリーザが関わりそう)、既存の秩序が崩壊する。
「大宇宙戦国時代」が訪れるかもしれない。

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