生け贄ってなんだろう

最終更新日:2017年6月11日

古代人はなぜ生け贄が供物を神に捧げる行為であると思ったのだろうか。
殺すことがなぜ神の御許に捧げることになるのだろう?

アニミズムや多神教ならまだわかる。
神道でも仏教でも、神前・仏前にお供え物をする。
お酒や食べ物を供える。
その延長で生け贄を供えることがあっても不思議ではない。
ただ、仏前や神前に捧げたご飯が無くならずただ腐っていくだけなのを不思議に思わなかったのかな。

アイヌにみられるような原始的なアニミズムでは、神は熊の形をとって現れ、その肉体を人間に与えてくれるという。
そのお礼として、歌や踊り、供物を捧げる。

生け贄を捧げる儀式が多いマヤ文明やアステカ文明では、神が世界を造るときに自らの血を流したため、今度は人間に血を流すことを求めるとされているらしい。
定期的に人間の心臓を神に捧げることで、神の血を求める欲求が収まる。そうしないと、太陽が昇らなくなると考えられていた。

唯一神教はわからない。
この世の全ては神が造った神のものだとされる。
自分の命でさえ神のものだから、自殺は許されない。
ではなぜ神のものである生け贄(羊や幼子など)を勝手に殺すのだろう。
捧げるもなにも、最初から神のもの。
神のものを勝手に殺して「捧げ物です」っておかしくないか。
それがOKなら自殺もOKでしょ。

旧約聖書のアブラハムは我が子イサクを神に捧げようとしたし、そのときに捧げた羊は神がそこに使わしたもの。
神が「この羊を私に捧げてね」ってことで羊を使わすって、捧げる意味あるの?
最もこの説話は、イスラエル民族の人身御供をやめさせるために神が仕組んだものだとも言われている。
原始ユダヤ教が発展したころには、まだまだ多神教も多かった。
モーセの仲間たちも他の神をあがめたし。
キリスト教(ユダヤ教)が理論体系化する前、ただのユダヤ民族の民俗宗教だった時代の風習が残っているのだろう。
旧約聖書には神が生け贄を求めるシーンが多い。
神が自分のものである動物(や人間)を人間に貸し与え、それを「返せ(生け贄に捧げろ)」ということで信仰心を試しているのだろうか。

もちろん、現代日本人の感覚で考えてはいけない。
古代人にとって羊などの動物を屠ることは日常の出来事で、とくにグロテスクで残虐な出来事ではない。
数十年前までは日本だって、肉はスーパーにパック詰めされて生まれてくるのではなく、生きている動物を屠殺し解体することで食材となることが当たり前だった。
部族の主などの権力者や、他部族への貢ぎ物として動物を捧げたであろうことは、想像に難くない。
その習慣がそのまま神に投影されただけだと思う。

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