法律婚制度は時代遅れ。人間関係を強制する法は不要。

最終更新日:2017年11月16日

あくまで個人的な戯言です。
実際に法律婚制度が無くなることは100%ないでしょう。

法律婚制度は不要。
夫婦も親も、1人でも2人でも3人でも0人でも構わない。
性別も関係ない。
親子関係は子が成人した段階で法的に切れるとしなければならない。

現状「配偶者」という特権を得る資格として考慮されているものは、個別の「契約」とすればよい。
「扶養者」を任意に設定できたり、「財産共有」や「任意後見」等の相手を設定できるようにする。
※現在でも出来るがこれをパッケージ化する。
つまり「契約」による擬似的な「婚姻」は可能となる。
あくまで民法の話であって、結婚式を挙げたり「私たち夫婦です」「私の妻です」というのはもちろん構わない。

近親婚の禁止も根拠がなく廃止する。
※法律婚を無くせば婚姻制度はないが、「契約」の相手から近親者を除外することをしない。
近親交配で障碍者が生まれるという有力な生物学的根拠はない。
また、仮に「障害を持って生まれる可能性」を婚姻禁止の根拠とするのであれば、ある種の遺伝病や高齢出産も禁止しなければダブルスタンダードである。
近親婚の禁止は価値判断でしかなく、法により禁止する必要はない。

「家族」制度として残るのは、「未成年者の保護者」という制度のみとなる。
「子」が成人するまでは、その親に養育義務が擬制される。
「子」を産むことが、その子を成人まで養育する義務となる根拠は、価値判断のほか存在しない。
行政にとって親に責任があるとしたほうが便利であるという事実は、非常に大きな義務を押しつける根拠として弱すぎる。

母であれ父であれ、「義務」を回避することは可能とする。
もちろん、保護者がいなくなった子の養育監護する行政やコミュニティの受け入れ体制構築は重要。

子は成人するとともに被後見という立場から抜ける。
法的に「親子」関係は存在しない。

貧乏な親の元に生まれたら成人後も親の面倒を見なければならない扶養義務を課すというのは、生まれによる差別以外のなにものでもない。

ここで提示しているのは、あくまでも「法律」の話。
法律がなくても親子の愛は変わらないし、「家族」や「イエ制度」を保持したければそうすればいい。
年老いた親の面倒をみる人はみればいい。
一夫一婦でも一夫多妻でも一妻多夫でも好きにすればいい。

両親が揃っていない子は不幸・かわいそうというのは、旧世代の価値観でしかなく、この価値観は実際にその状態にいる子を不幸にする。
人間関係を法律で縛ろうとするから不幸になる。
事実上の婚姻関係は契約によるので、不倫OKな契約だっていい。
不倫をしたら慰謝料幾らという契約をしてもいい。

契約は冷たいものではない。
信頼関係が無い相手とは契約をしない。
紙切れ1つで「婚姻」という決まり切った形に入るほうが冷たいんじゃないか。
人間関係は多種多様。
そのひとつひとつに沿った形を実現できるのは、個別の契約しかない。

おそらく、法律婚制度を撤廃しても現実的に大きな変わりはない。
ただ、今までいわれなく差別されてきた人たちを解放することができる。

貧困の連鎖、介護の押しつけ、LGBT、夫婦別姓、家族に関する様々な問題。

自民党新憲法草案は、「家制度」を復活させようとしている。
すでに崩壊しているのに、現実にそぐわないことをしようとしている。
「憲法」で国民の人間関係を制限しようとすること自体、憲法の本旨がわかっていない。

もちろん、「価値判断」は重要。
刑法の多くは、どのような法益を保護するのかという価値判断が含まれてる。
でも、「人間関係」にまで「国が考える価値」を押しつけるいわれはない。


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