無神論と宗教 ー ある無神論者の独白

無神論者のひとりごと

最終更新日:2017年8月16日

人は、あらゆるものに理由を求めます。

嵐になったのはなぜか。

地震がおきたのはなぜか。

事故にあったのはなぜか。

愛する人が死んだのはなぜか。

障がいををもって生まれてきたのはなぜか。

この人に巡り会えたのは運命だから。

今日ついていないのはなぜか。

生きている理由はなにか。

死ぬのはなぜか。

死んだらどうなるのか。

この世界が生まれたのはなぜか。

そして、わからないものには恐怖を覚えます。

暗闇が怖いのはそこに何かが潜んでいるかもしれないから。

何もいないということがわからないから。

人が怖いのは、相手のことや相手が何を考えているのかわからないから。

幽霊が怖いのは、存在自体わけがわからないから。

結果として、宗教が生まれました。

唯一神教では、

「神の思し召しである」

この一言ですべてが解決です。

自然や祖霊を崇拝する宗教

例えば日本人は

「なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる 」

鎌倉時代の僧、西行法師の言葉です。

日本人の宗教観をこれほどみごとに表現した言葉はほかにないでしょう。

神だか仏だかご先祖様だかなんだかよくわからないけど、なにかありがたい存在がいる。

現代の日本人にも共通して流れる感覚です。

この感覚を持っていれば、無宗教ではあっても無神論者ではありません。

宗教的感覚や信仰心はしっかりと持っています。

ーーー

原因がわかれば、対策が可能です。

火山が爆発するのは神の怒り。

日照りが続くのは村人が悪さをしたから。

私が試験に落ちたのは、信仰心が足りないから。

祈りをささげ、生け贄をささげ、神の怒りを取り除く。

仏に、現世利益を願う。

あらゆる現象に理由をつけることで、人間は進歩してきました。

科学の発展の根源と、宗教の発生の根源は、人間の同じ素質から出てきました。

おそらく、何事にも理由をつける人々は、たとえその理由が間違えでいたとしても、

進化の過程で、生き残るのに有利であったのでしょう。

ーーー

私は無神論者です。

熱心なプロテスタントの両親のもとに生まれ

少年時代に洗礼を受けました

思春期には教会に行かなくなったけど

20代半ば位までは心のどこかで神の存在を信じていた

だけどなにか違った

聖書や書物を読みあさり、腑に落ちないことが多かった

腑に落ちなさを解決するため、仏教を勉強しはじめた

山奥にある寺院で少し修行をしたり僧侶と話したり書物を読んだりした

仏教系の大学の講座に通ったりもした

仏教は思想や東洋哲学として大変興味深く面白いけど、信仰心を得ることはなかった

そして、いろいろな人生経験も積み、いろいろな勉強を通して

30代半ば頃、確信的な無神論に至った

神も仏も精霊も悪霊も祖霊も幽霊も存在しない

運命や宿命も存在しない

すべて人間がさまざまな現象の理由付けのために生み出したものだ

この考えに至って、すべてのことが腑に落ちた

今まで経験してきたもの

生と死

勉強してきたこと、考えたこと、悩んだこと

すべてがしっくりきた

だけど

先に逝ったあいつと天国で再開出来ないことや

存在が消えてなくなり完全な無となる死への恐怖

これを受け止めるのは、かなりの勇気が必要

一度、自分の死に直面したことがある

今、宗教という杖を捨ててから真剣に向き合う死は

あのとき直面した死よりもさらにリアルであり、目を背けたくなる恐怖に襲われる


それでも、この現実の中を生きていく

自分の人生自分で決めて、自分の選択と結果はすべて自分の責任であるとして

母は、今でも熱心に祈りを捧げている

朝晩、私たちの無事を祈っている

天に召されるその瞬間まで

母は神の愛の中にあり

神の御許へいける安らぎのもとに死を迎えるであろう

母の中にいる神が、これからも母をその愛で包み続けてくれることを願う

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