嫌煙は新しい人権なのか。タバコを巡る一考察。

タバコはもうやめましょう

最終更新日:2017年9月20日

私は嫌煙家です。

タバコが嫌い。
タバコの煙が嫌い。
個室の飲み会などで喫煙者がいると、1時間くらいで気分が悪くなります。
比喩的表現ではなく、頭がクラクラして弱い吐き気がして、本当に気分が悪くなる。
カラオケなどの個室どころか、広い居酒屋やビリヤード場などの比較的広いスペースでも、喫煙可のところに2時間もいれば、服に臭いが染みつきます。
とてもくさい。
吸い殻とか灰とか汚いし。

かくいう私も、愛煙家でした。
1日1箱から2箱は吸うそこそこのヘビースモーカーでしたが、20代半ばできっぱりやめた。
やめた日から一度も吸いたくなっていない(今は幾ら金を積まれても吸いたくない)けれど、吸う人の気持ちもわかる。
今吸ってる人はかわいそうだなーと思いつつも、タバコはアルコール中毒と違ってただの精神的な依存症なので、すぐにやめられるのになんでやめないんだろうとも思う。

もう時間の問題で、東京都の公共の場所は全面禁煙となる。
喫茶店や居酒屋も例外ではない。

喫煙は権利なのか。
嫌煙は権利なのか。
どちらも権利であるとしたら、権利の衝突をどのような論理で解決するのか。

なお、マナー違反どころか条例違反の歩きタバコ・ポイ捨てが未だに散見される。
が、こういう人は喫煙者のごく少数のはず。
我々非喫煙者が目にする喫煙者は、必然的に喫煙所等ではないところでタバコを吸っているマナー違反の人たちになるため、あたかもすべての喫煙者がマナー違反をしているようにみえるだけ、だと思う(マナーを守る喫煙者は目立たない・見られないため)。
なのでここでは、マナー違反については除外して考える。


人権とタバコ

人権とは、法哲学の権威である東京大学の井上達夫教授によると、「普遍的価値理念であるが、その根本的要請は、自律的で尊厳ある生を送るための不可欠な諸条件の保障にあ」る(井上達夫『法という企て』東京大学出版会、2003年、188頁)。
としながら、「新しい人権は、住民エゴ、ごね得、物取り主義等の合理的イデオロギーになりかねない」(同189頁)ともしている。

井上は同書において、新しい人権が認められるための条件として「権利の主体・対象・内容・範囲の明確化・特定化と、社会的コンセンサスの成立」を挙げている。
喫煙権を当てはめてみると「①主体は成人である喫煙者、②内容は喫煙すること、③範囲は吸いたくなったときに吸える状況があること」になる。
③については議論が分かれる。
嫌煙権については「A:主体は非喫煙者、特に未成年、B:内容は副流煙や臭い等のタバコ害に遭わないこと、C:範囲はいついかなるときでもタバコ害に遭わないこと」となるだろう。

ここでぶつかるのは、喫煙者の「嗜好品であるタバコを吸う権利」と、それ以外の方の「副流煙害に遭わない権利」となる。

しかしながら現状において、タバコを吸う権利は侵害されていない。
マンションの自室内やベランダ等における喫煙については、私人間の問題であり法は関係がない。
つまり侵害されている(と想定される)のは、「喫煙の権利」ではなく「吸いたいところで喫煙する」権利である。
そのような権利は、本当に権利として擁護できるのであろうか。

J・S・ミルの他者危害原理によれば、他者に害がなければいかなる規制もするべきではない、という原則がある。
「他者の害」がなんであるのかを規定する必要があるが、3点あげてみよう。

イ:副流煙による健康被害
ロ:洋服や髪に不着する臭い
ハ:見た目が汚い・見苦しいなど不快感

まず「イ」について、健康被害は本当にあるのであろうか。
否定する論文も肯定する論文もあり、医学者ではない私には判断がつかない。
国立研究開発法人国立がん研究センターは「受動喫煙と肺がんに関する JT コメントへの見解」のおいて、「受動喫煙による肺がんリスクは科学的に明確」としている。
http://www.ncc.go.jp/jp/information/pr_release/pdf/20160928.pdf
私個人の経験では、先述したとおり、喫煙状態にある個室に2時間も滞在すると、本当に具合が悪くなる。
傷害罪に関して、「何が傷害であるのか」には「生理機能傷害説」と「身体完全性侵害説」が有力である。
どちらの説をとっても、「気持ち悪くなる」は、程度がある程度高ければ、傷害罪に該当しうる。
よって、健康被害はあるとみてよいであろう。
癌や肺機能障害など恒久的・長期的な被害ではなく、一過性のものであっても被害は被害である。

「ロ」について、臭いがつくことは刑法上罪には問えない。
洗濯すれば落ちるため、器物損壊にはならない。
わざと臭いをつけるために行為したというような特殊な状況であれば、民法上の不法行為には問えると考えるが、「ロ」を危害であるとするのは無理があろう。

「ハ」について、不快感だけで危害であるとするのは難しい。
しかしながら、セクハラや公然わいせつなどのように、受け取る側がどう受け取ったのか、またその状況等により、個別的な判断はわかれる。
よって、一般的に「危害である」とは言えないが、特別な状況においては危害が認定されることもあろう。

「喫煙する権利」と「健康被害」を比べれば、健康被害が優先されることに異論はないであろう。
よって、喫煙の権利は一歩引かなければならないこととなる。

健康被害とタバコ

上述したように、タバコによる健康被害はある。
ただし裏を返せば、健康被害がなければ、喫煙の権利を制限することは不当である、となるはずである。
個別具体的な例を考えてみたい。


・自宅
東京都が、未成年者がいる家庭では、自宅内における喫煙を禁止する条例を制定する方向で進んでいる。
この条例は、正当である。
家庭内に立ち入ることは難しく、どれだけの実効性があるのか疑問ではあるが、子ども等の家族から通報するルートを作るなどの整備次第であろう。
子どもは最も健康被害を受けやすく、家庭内の喫煙を反対することも難しい状況が多いと思われる。
条例の制定があれば、大義名分を得て喫煙禁止を言うことができる。
ただし、被害が100%出ないような豪邸であるとか、「ダンボッチ」のような「個人用喫煙所」がもしあれば、そこに限っては許可をしてもよいと思う。
※畳み半畳くらいの個人用の喫煙室、多分売り出されると思う。アクリルやFRP制で空気清浄機付きのやつ。

・居酒屋
喫煙を許可するのであれば、未成年者の「入店」自体を断る必要がある。
そして、分煙を徹底させるべきである。
落としどころとしては、「全席禁煙・喫煙ルームあり」といったところかと思ったが、東京都の案では小規模な店舗を除いて全面禁煙とするらしい。
個人的にこれはとても嬉しいが、やり過ぎだと思う。
※接待等の断れない飲み会等で喫煙者がいると、地獄の時間を耐えることなる。

・公共施設
路上や公共施設は全面禁止でよい。
どの場所においても、他者への健康被害の可能性がゼロではない。

まとめ

タバコはやめましょう。
簡単にやめられます。
吸わなければいいだけ。
私も愛煙家でしたが、「愛煙」なんて嘘です。
「依存症」という精神的な病により、「愛煙」だと勘違いし、やめない理由をいろいろと考えて自分をごまかしているだけ。

私がよく行動する4区の3区では、路上は全面禁煙です。
なのに、路上喫煙をしている人はいまだにたくさん見かけます。
とってもかっこ悪い。
条例で禁止されているのに、歩いてる時まで吸わなければいられないなんて、病気だと思いませんか。

港区:全域で公共の場所(路上・公園等)は喫煙禁止「港区環境美化の推進及び喫煙による迷惑の防止に関する条例」
千代田区:全域で路上喫煙禁止「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例」
新宿区:全域で路上喫煙禁止「新宿区空き缶等の散乱及び路上喫煙による被害の防止に関する条例 」
渋谷区:一部地域(渋谷駅・原宿駅・恵比寿駅から、半径300メートル以内)は歩行喫煙禁止「渋谷区分煙ルール」


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