電車の中の携帯通話や化粧はなぜ駄目なのか

電車内のメイク行為はマナー違反?

最終更新日:2017年5月9日

電車内の化粧はマナー違反?

「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ。」
https://www.youtube.com/watch?v=jX5vMMpHsXc

電車での化粧「みっともない」と女性バッサリ 東急電鉄マナー向上広告に批判殺到
http://www.excite.co.jp/News/smadan/20161025/E1477379136950.html

東急電鉄のマナー広告に批判が殺到しているそうです。
「どうして化粧だけがマナー違反なの?」
ということらしい。

でも、「だけ」ではないですよね。
数あるマナー違反のひとつとして数えられている。


東京メトロのマナーポスターでは、「化粧」が取り上げられている年もそうでない年もありますね。
http://www.metrocf.or.jp/manners/poster.html


現状で、車内の化粧はマナー違反だとされる行為として認識されていますが、
毎朝の化粧と通勤が必須な女性たちからすればすでに当たり前の行為で、マナー違反とされたくない。
というより、「マナー違反者」というレッテルは貼られたくない。
でも、電車内で化粧をするのは毎日の現実としてしょうがない。
だから、「電車内の化粧はマナー違反ではない」となってほしい。
というか、自分ではマナー違反ではないと思っているから、社会的にもマナー違反ではないという認識になって欲しい。
ということでしょう。

では、なぜ電車内の化粧がマナー違反だとされているのでしょうか。
マナー違反だということは、周囲の第三者が不快に感じるということです。
なぜ電車内の化粧が不快なのか。
同じ議論は、電車内の携帯電話通話にもあります。

個人的には「儀礼的無関心」の観点からみることができると思います。
「儀礼的無関心」とは、社会学の用語です。

儀礼的無関心とは

儀礼的無関心とは、相手の存在を認知しているという最低限の礼儀だけを出した無関心な態度。
典型例は電車の中。
無関心でありながら、存在を完全に無視しているわけではない。
自分の部屋のように他人がいないプライベートな空間ではない。
この空間には、「私」のほかに「他人」である「あなたも存在していますよ」という、「相手の存在を尊重している態度」はみせる。
それでいて、話しかけたり目を合わせたりするのではなく、表向きには無関心でいる。

これが「儀礼的無関心」であり、社会生活のなか、とくに電車内やエレベーター内などの閉鎖的な空間で求められる社会的な態度です。
このような空間で「儀礼的無関心」という態度を取らないと、相手は不快に感じます。
なぜなら、相手の存在を尊重していない、存在しているのに存在していないものとして扱われるのは、誰でも気持ちのいいものではありません。

車内はプライベートな空間ではありません。
相手からすれば、この空間に「私」が存在していることを無いものとはされたくないのです。

だから、本来プライベートな空間でするはずの行為をされると、自分の存在を無視された、あるいは否定されたような気がして、不快感を感じてしまう。

携帯電話の通話は、すぐ近くに他人がいるところでするものではない。
化粧はプライベートな空間でするものであり、他人がいるところでするものではない。

だから、化粧をしたり、携帯で話をし始めると、不快感がある。
自分が存在していることを、完全に無視されていると感じて。

社会の多くの人が「化粧はプライベートな空間でするもの」と考えていれば、車内で化粧をする行為はマナー違反となります。
仮に、車内には自分のほかには1人しかいなくて、相手に対して「ここで化粧をさせて頂いてもよろしでしょうか」と許可を得ていたら、それほど不快には感じないかもしれません。

臭いなんてほとんどしないし迷惑かけていないよね

この「儀礼的無関心」には、現実的な「迷惑」は関係ありません。
化粧の臭いなどをマナー違反の原因としてあげる人もいますが、これは関係ないですね。
臭いがだめというのであれば、臭わない化粧ならいいいということになります。


「自由論」で有名なイギリスの思想家ジョン・スチュアート・ミルの考えに「危害原理」というものがあります。
他者危害原理とも言いますが、他者に危害を加えなければ自由にするべき。
他者に危害を加えるのであれば、自由は制限される。
という原理です。

この原理でいえば、車内の化粧は自由におこなわれてしかるべき、ということになります。
化粧が「危害」を加えているとはされないでしょう。
例えば「セクハラポスター」であれば、そこで働いたり生活したりする女性にとって現実の危害があります。
働きにくくなったり、社会生活の場で性的な目でみられたりするというのは、現実の危害でしょう。
一方、熱烈な巨人ファンの上司が自分のデスクに巨人のポスターを貼っているのは、部下が熱烈な阪神ファンであっても危害とは言えないでしょう。
少なくてもただポスターを貼っているだけでは。

つまり、「危害原理」では車内の化粧を禁止できません。

まとめ

やはり「儀礼的無関心」の欠如の問題です。
つまり、「化粧はプライベートな空間でするもの」という社会的な認識があるうちは、車内の化粧はマナー違反であり続けるでしょう。
この認識はそれぞれの共同体や部分社会によって異なります。

東京ではダメでも、大阪では大丈夫かもしれません。

「マナー」や「道徳」といったものは、「法」とは違います。
なかでも「マナー」は、「道徳」よりもさらに曖昧です。

日本人のほとんどの人が知らない「日本のマナー」は、本当にマナーでしょうか?
伝統ではあっても、もはや社会的なマナーでは無いといっていいのかもしれません。

マナーは時と場所により異なります。
そのマナーを、社会のすべての人が守っていれば、マナーであり続けるでしょう。
多くの人が守らなくなれば、マナーではなくなる日が来るかもしれません。

つまり、現在電車内で化粧をしている方々は、新しい社会のあり方を構築しているパイオニアなのかもしれません。


個人的にはマナーは守るべきだと思います。
歩きスマホや歩きタバコをしている人は大嫌いです。
電車内の化粧は、特に気になりません。
私に妹がいて家庭内という「社会的な空間」における「化粧」が当たり前だと思ってきたからですかね。。

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