インドネシア政治史のおさらい・まとめ。【アジア】

インドネシアの政治まとめ

最終更新日:2017年5月10日

ドゥテルテさんのフィリピンが話題ですが、東南アジアには11の国があります。
東南アジアって、近くて遠い。あんまり知らない人が多い。
特にある程度年齢を重ねた方だと、いまだに貧困な発展途上国しかないと思っていたりする。

東南アジアは現在、ビジネスの拠点としても市場としても注目されています。
私の知り合いもミャンマーで事業を始めました。

東南アジア全体では人口6億超え
GDPは2.5兆ドル近く、フランスにもうすぐ届きます。
そんなよく知らない東南アジアを学び直してみましょう。

東南アジアは大陸部と島嶼部に分かれます。

大陸部は
・ミャンマー
・タイ
・カンボジア
・ラオス
・ベトナム

島嶼部は
・インドネシア
・フィリピン
・マレーシア
・シンガポール
・ブルネイ
・東ティモール

今回は、東南アジア島嶼部に位置するインドネシアのおさらい。
スシ大臣の漁船爆破や高速鉄道の問題でも話題になったインドネシア。
ここでは、特にインドネシア政治史を中心としてみてみます。

インドネシア概要

インドネシアは、1万7000を超える島々からなる島国です。
人口は2億3000万人で世界第4位。
共通語はインドネシア語。ほかにジャワ語、スンダ語、アチェ語など500以上の言語。
宗教はイスラム教88.1%、キリスト教9.3%、ヒンドゥー教1.8%、ほか仏教など多数。
本島であるジャワ島に6割の人が住み、ほとんどがイスラム教徒。
経済は1人あたりGDP3500ドル。
首都はジャカルタ。

ちなみに、インドネシアとはインド島という意味(ネシアはギリシャ語で島)。
ジャガイモは、インドネシアのジャカルタから来たことが語源です。

人名は民族によりルールが異なりますが、「スハルノ」や「スカルト」は、短縮しているわけではありません。
姓名というものがなく、「スハルト」がフルネームです。
「メガワティ・スカルノプトリ」も姓名ではなく、2つの名前です。「・」は2つの名前を区切っているだけです。
メガワティ元大統領は、5つの名前持ち、上の表記は短縮して2つだけ書いています。


政治的には、下記4つの時期に分けることが出来ます。

1950年〜1959年「議会制民主主義」
1959年〜1965年「指導される民主主義」
1965年〜1998年「権威主義体制」
1998年〜「民主化後の民主主義」

ポリティスコアという政治学者がよく使う指標によると、「民主化後の民主主義」はスコア10なので民主主義が達成されていると判断されています。

独立まで

ここからわかるように、「多様性」の国家であるといえます。
なぜこれほど多様な人々がひとつの国になったのかというと、オランダによる植民地支配、かつてはオランダ領東インドと呼ばれていました。
植民地支配を終わらせたのが、日本軍政。
1942年から1945年まで、3年半日本の支配下に置かれました。
オランダからの独立を願っていた指導者スカルノらは、日本に協力し、大衆動員や組織化の手法を日本から学びました。

1945年8月17日、日本からの独立を果たしたインドネシア。
ところが、オランダがすぐに戻って来て独立闘争が4年続きます。
アメリカの助力もえて、スカルノを指導者とするインドネシアは1949年に独立。1950年には現在のインドネシア共和国としての形が定まります。

「建国の父スカルノの時代」65年まで

独立後は混乱が続き、経済的な低迷や地方の反乱がおき、1958年には革命政府が樹立。
革命政府に対してスカルノが「革命政府かスカルノか」と国民に迫り、インドネシアは指導者であるスカルノの英知によって導かれる民主主礒をとります。
民主主礒とはいってもポリティスコアでみれば0からマイナスへどんどんと下降し権威主義体制へと移行することになります。

1963年にマレーシアのボルネオ併合に反対したインドネシアは、世銀・IMF・国連から脱退し、停滞期に入ります。
1965年には建国の父スカルノが入院、「9月30日事件」と呼ばれるクーデターが勃発します。
このクーデターを鎮圧した陸軍少将スハルトが権力を握り、新たな時代に入ります。
この鎮圧では、共産党員を始め数十万人が殺害されました。

スハルト「権威主義体制」

スハルトは大統領に就任。
「新秩序」と呼ばれる政治体制を始めます。
「開発独裁」
「家産主礒」
を柱として、国軍と官僚機構を掌握。
選挙では必ずスハルトが勝つしくみを作りました。
いわゆる独裁の完成です。
この独裁が長続きした理由のひとつとして、経済的には成功したことがあげられます。
国連等にも復帰し、インドネシア経済は「開発」「安定」を達成。
多様性の面では、国民の画一化をはかり多様性を抑圧します。
この体制は1998年まで30年以上も続く。

世界情勢は冷戦終了により人権や民主化の波がおこります。
1997年のアジア通貨危機はインドネシア経済にも打撃をあたえ、スハルトは一族の利益確保に奔走、1998年に辞任に追い込まれます。

1998年〜「民主化後の民主主義」

改革を迎えたインドネシアは、民主化、地方分権といった政策をとり、抑圧されてた地方や多様性が復活。
結果として、混乱を極めます。
インドネシアからの独立をめざす勢力がテロを展開、民族紛争や宗教対立も勃発、大統領は頻繁に交代されることになります。

1998年〜1999年 ハビビ政権
・言論の自由、選挙の民主化、自由で公正な議会などの改革をおこなう

1999年〜2001年 ワヒッド政権
・第4政党から大統領へ
・弱小政権のため政治的混乱が続き、国民協議会により解任される

2001年〜2004年 メガワティ政権
・スカルノの長女

2004年〜2014年 ユドヨノ政権
・元陸軍大将

2014年〜 ジョコウィ(ジョコ・ウィドド)政権
・働く内閣、庶民派

現在

イスラム過激派のテロが問題になっています。
アチェ問題、パプア問題などの独立運動も依然解決していません。

スシ・プジアストゥティ海洋水産大臣が違法漁船を爆破していることでも話題になっていますが、中国との関係は報道されているほど悪くない。

内政面をみると、「多様性の中の統一」という難しい課題を今後どうしていくのか。
人口増加や経済成長が続く中で、地方や他民族・他宗教、階層間の利害をどのように調整していくのか。

インドネシアがこのまま安定した大国となれるのかどうか、同じアジアであり海洋国家である日本にも、大きな影響を与えます。

参考文献

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